彼女が第一期眞鍋ジャパンのメンバーの一人だったことを知っている人は少ない。

そう、今季、長い時を経て全日本に復帰した冨永こよみ選手。

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名門・下北沢成徳高校出身のアタッカー。同期は日立リヴァーレの井上奈々朱選手。

元々はエースアタッカー、中学時代はJOC最優秀選手およびオリンピック有望選手に選ばれ、高校時代はアタッカーとして国際大会も経験、特に銅メダルを獲得した2007年の世界ジュニアではベストスコアラー部門は石田選手の3位に並ぶ4位、ベストスパイカー部門では日本トップの8位と大活躍。

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そんな彼女がセッターに転向したのはパイオニアレッドウイングスに入団後のこと。
大型セッターとして将来を嘱望された。

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そう、今から二大会前の2009年のグラチャン。
所謂黄色いユニフォームの全日本で彼女は試合出場を果たしている。

そんな彼女の運命を狂わせたのは2012年。Vプレミアリーグの試合中、左足アキレス腱断裂の重傷を負い、長期戦線離脱を余儀なくされる。

2013年の国体で復帰し、見事優勝を飾るも、以後彼女が全日本に復帰することはなかった。

セッターとアタッカーの二足の鞋を掃きながら活躍する彼女にもうひとつの転機が訪れる。
所属するパイオニアの廃部が決定したことだ。

2013/14シーズン、パイオニアは3勝25敗の成績で最下位に低迷、チャレンジマッチでもデンソーエアリービーズに敗れ、チャレンジリーグ降格が決定的となった。

ところが、パイオニアは黒鷲旗終了後、廃部を決定。多くのパイオニア所属選手の運命を変えたこの出来事により、冨永選手もまた、移籍を余儀なくされた。

彼女の新天地は上尾メディックス。
2014/15シーズン、前年チャレンジマッチでJTマーヴェラスを破りVプレミアリーグへ昇格。
チームにはレギュラーセッターにしてキャプテンの土田望未選手がいた。
マーフィー、荒木選手の強力な二枚看板を擁し、初年度ながらファイナル3にまで進む大躍進、3位に健闘した。

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しかし、翌2016/16シーズン、上尾は軌道に乗れなかった。勝てそうで勝てない試合を落とし、まさかの8位に低迷。因縁のJTマーヴェラスとのチャレンジマッチに敗れ、再びチャレンジリーグⅠに転落する。

ところが、この出来事が冨永選手にとって転機となるのだから、人生は分からない。

上尾は荒木、マーフィー、土田、吉村選手など主力選手がこぞって退団。
冨永選手にチャンスが巡ってくる。

迎えた2016/17シーズン。
上尾メディックスはチャレンジリーグでは敵なし、ライバルはデンソーエアリービーズのみ。

世界最高到達点、3m30cmのカルデロン選手を迎え連戦連勝。この年は僅か1敗ながら準優勝。デンソーとの対戦も勝ち越しながら、ストレート負けの一敗が響いた。

しかし、チャレンジマッチ。
岡山シーガルズとの初戦を1ー3で落とすも、続く第二戦、3ー0のストレートで下し、逆転でVプレミアリーグ復帰を果たした。

勿論、コートの中の司令塔は冨永選手。
初戦、カルデロン選手にトスを集めすぎた反省を生かし、要所で近藤、荒木、松本選手らにトスを拡散し、的を絞らせないようにした成果が実った。

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この結果により上尾メディックスは再びVプレミアリーグに復帰。

冨永選手もまた、2016/17シーズンの活躍が認められ、およそ7年ぶりの全日本復帰を果たした。かつて日本屈指の大型セッターとして期待された冨永選手もキャリア豊富なベテランになった。

まさに両手に花の凱旋である。

ただ、これは冨永選手にとって新たなスタートラインへたっただけに過ぎない。
勝負はこれから。

紆余曲折を経ている間に全日本は様変わりし、東京オリンピックを睨む若い宮下遥選手をはじめ、高速コンビで名を馳せた佐藤美弥選手、JTの躍進を支える田中美咲選手と強力なライバル揃い。

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人生どこでどうなるか、先のことは分からない。
ただ、最後まで諦めず、地道に努力した者だけが報われる。
そのことを冨永選手が体現した。

新生中田ジャパンがどのような方向に進み、どんなチームに仕上がるのか、今はまだ分からない。だが、チャンスは到来し、機は熟した。

あとはやれるだけのことをやるだけ。

満を持しての全日本復帰。
冨永選手の全日本シーズンに注目したい。