これまで余り触れてきませんでしたが、眞鍋ジャパンの成功の影には、前任の柳本昌一監督の功績がごさいます。

これは退任後眞鍋政義さんも認めておりました。

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柳本監督の時代は、日本のバレー界の歴史でも稀な大型選手が目白押し、それも個性豊かで高い技量を持った選手が多数いました。

柳本監督もはじめ、男子流の指導を投入したところ、数日もしないうちに片手で余るぐらいしか選手が残らず、考え方を変えたそうです。

それでも気苦労が絶えず、あっという間に白髪だらけになってしまったそうです。

女子はこの人のために、と思うと持てる以上の力を出すと、中田監督も眞鍋さんも仰っていましたが、柳本監督の時代、後一歩まで漕ぎ着けながら三大大会のメダルには手が届きませんでした。

これらの選手を上手く活用したところに眞鍋さんの成功があったと思います。

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所謂柳本ジャパン時代を彩った選手のうち、キャプテンを務めた竹下佳江選手、メグカナで人気を博したプリンセスメグこと栗原恵選手、木村沙織選手、佐野優子選手、荒木絵里香選手、大友愛選手らが第一期眞鍋ジャパンの主力となり、世界バレーとロンドンオリンピックで銅メダルに輝きました。


勿論、体制が変わって登用される選手も変化がありましたが、比較的スムーズに世代交代や引き継ぎが上手く行ったのかもしれません。

ただ、第一期眞鍋ジャパンが結果を出したのは2010年の世界バレーからですから、起動に乗ったの2年目から。

そこには意識改革があったといいます。

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眞鍋さんは選手に、世界のトップチームを上げさせ、どこがストロングポイントなのかを質問したそうです。

すると、殆どの選手が漠然とした答えしか返ってこず、まずここを具体的にすることから着手したと言います。

はじめは半信半疑だった選手も、眞鍋さんの打ち出した戦法がはまり、結果を出すにつれ信頼していったとのことでした。

ジャケリネ選手やナタリア選手のサーブレシーブで不安定な方向があることを指摘し、サーブで攻めたり、と言った攻略法です。

今ではごく当たり前に聞こえる戦術も、当時はその具体性がなかったそうです。

古き良き精神論も大事だけど、具体性をもたせるということが改革への第一歩だったといいます。

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眞鍋さんがもたらしたのは、メダル獲得と日本女子バレーの復活が最大の功績ですが、幾つか上げてみると。

・人材活用の成功
・コーチの分業制
・データバレーの着手
・分析と明確な目標設定

概ねこの4つだと思います。

特に眞鍋さんは自著の本にも掲載されていましたが、選手に自主性を持たせる、という点が大きかったのではないかと思います。

これで役に立ったのが、データだそうです。

選手は自分の長所、短所を数字で見せられ、はじめは嫌な顔をしたそうです。ですが、数字は何よりも正直で、自分の課題が明確になるため、自主的に欠点を補う練習を始めたそうです。

それまで、漠然とした精神論から脱却した眞鍋ジャパン。そこに結束力が加わったのが、あのロンドンオリンピックでした。

前述の「あの人のための頑張ろう」で、全日本は身内の急病で帰国したリザーブメンバー、石田瑞穂選手、指を骨折しながら闘い抜いた竹下佳江選手のために、結束力が最大になったと聞きます。

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モチベーションビデオを見せたり、背番号を変えたりと、眞鍋監督にも松平康隆監督の「非常識を常識に」の精神は息づいていました。

やはり、背のない日本が世界で勝つには、普通でない努力と知恵というものが如何に大切なのかを感じずにはいられません。

これらを踏まえると、何するにせよ。

明確な目標設定
人身掌握
結束力

この3つが主体であり、あとはやり抜く強い意思が大事なのか、と思います。

ロンドンオリンピックの主役である眞鍋さんと竹下さんが二人揃って姫路ヴィクトリーナで共に闘う。

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改めて思うのは、凄いドリームタッグだと言うことです。

少なくとも4年前には考えられなかったことで、時の流れの早さと、不思議なものであると思わずにはいられません。