2017年、装い新たに東京オリンピックに向けてスタートした全日本女子バレーボールチーム。
中田監督の下、チームは大幅な入れ替わりも見られた。
目指すは東京五輪。
一度は煙に巻いたが、その心は全日本に向いた。
今季はもう見られないと思っていた全日本のユニフォーム姿。
数多くの同胞が全日本から姿を消す中、この選手はそんなことどこ吹く風。
誰が何と言おうと、ぶれない、ずれない、見失わない。
ロンドンオリンピックキャプテン・荒木絵里香選手。
3回のオリンピック、伝説のメダリストが再び全日本のコートに戻ってきた。
これまでの輝かしい実績は何度となく語り継がれてきた。
同期はあのメグカナ。
日本のバレー史上でも極めて稀な大型選手の当たり年。
荒木選手もまた、エリートだが、挫折もした。
アテネオリンピックの選考から漏れている。
ブロードをマスターしなさい。
一念発起した荒木選手は海外武者修行を挟み、一回り大きくなって帰って来た。
そして掴んだ北京オリンピック。
荒木選手はベストブロッカーに輝く。
そして体制が一新された眞鍋ジャパン。
荒木選手はキャプテンに就任。
荒木選手は眞鍋監督の打診にこう答えたそうな
「私、反発しますよ」
眞鍋監督はこの答えに、大いに反発してくれ、と答えたという。
女子は自分ひとりが突出して目立つことを嫌がる。
そんな集団を纏めるには意思表示のはっきりしている選手が適任。
だが、そんな経緯でキャプテンに就任した荒木選手も一度はキャプテンが嫌になったとか。
当時、大友愛選手と井上香織選手がレギュラーとして活躍しており、荒木選手は控えに回っていた。このことを苦にした荒木選手は眞鍋監督にキャプテンを降りたいと直訴したらしい。
しかし、眞鍋監督はキャプテンは荒木選手しかいないと説得し、それ以降折れることはなかったという。
当時の全日本は元キャプテンの竹下佳江選手がおり、荒木選手をバックアップするよう依頼されていたらしく、明るくコミュニケーション能力の高い大友愛選手がムードメーカー。
そして、木村沙織選手と江畑幸子選手がエースと、役割分担がしっかりしていた。
そうした中、バランスの取れたこのチームは世界バレーで銅メダルを獲得。ワールドカップではブラジルとアメリカを破る殊勲の星で4位。
OQTでは最後までもつれたものの、何とか突破。伝説のロンドンオリンピックへと繋がっていく。
ロンドンオリンピックは、荒木選手にとって大きな転機となった。
結婚、出産、そして、復帰へのプロセスだ。
ロンドンでは大友愛選手の前例があったが、これほど短期間での復帰例は珍しい。
新体制となった第二期眞鍋ジャパンにあって荒木選手の登録がなかったのは2014年だけ。
実際、荒木選手が復帰したのは2014年。
上尾メディックスで復活した。
ここでもいきなり14得点をあげ、健在ぶりをアピール。
翌2015年、全日本へ登録されるも、この年は見送り。そして2016年、リオデジャネイロオリンピックを目指す荒木選手の姿がそこにあった。
高いブロックと強烈なクイック、ブロードで健在ぶりをアピール。リオでも苦戦する日本の中で何本もブロックを決め、気を吐いた。
だが、準々決勝で敗れ、荒木選手の3回目のオリンピックは幕を閉じた。
号泣する木村沙織選手を慰め、ともに涙する荒木選手の姿がそこにあった。
2016/17シーズン。
トヨタ車体クインシーズの一員として奮闘した荒木選手に更なる朗報が届く。
中田監督率いる新生全日本のメンバーとして荒木選手は名を連ねた。
当初、記者会見にも参加せず、第一期合宿でも確認されず、登録のみと思われた。
しかし、背番号5はアジア選手権で帰って来た。
強烈な大砲のようなクイックも、そしてブロックも健在。
以前と少しも変わらぬ荒木選手の姿がそこにあった。
ハイライトは決勝戦。
OQTでも苦戦を強いられた因縁のタイ。
第一、第二セットを先制され、絶体絶命。
荒木選手は第二セットスタートから出場。
力強いクイックやブロック、ブロードで奮闘。第三セットから形成を入れ替えた日本が大逆転で勝利を奪い、チームはアジアナンバーワンの称号を勝ち取った。
アジア選手権で二回優勝したことのある現役選手は荒木選手だけとなった。
そしてこれより2009年以来のグラチャンへと駒を進める。
果たして荒木選手がこの後、東京オリンピックを目指すのかどうか、それは分からない。
ただ、全日本のコートにいる以上、権利はある。
既に3回のオリンピック、メダリスト。
東京の頃には娘さんは小学一年。
母の勇姿を目に焼き付けるために
荒木選手の4回目のオリンピックへの挑戦は始まった。
自分が目指す、信じる道を突き進み、荒木選手のチャレンジは続く。
お母さんはメダリスト。
二回目はなるか?
中田監督の下、チームは大幅な入れ替わりも見られた。
目指すは東京五輪。
一度は煙に巻いたが、その心は全日本に向いた。
今季はもう見られないと思っていた全日本のユニフォーム姿。
数多くの同胞が全日本から姿を消す中、この選手はそんなことどこ吹く風。
誰が何と言おうと、ぶれない、ずれない、見失わない。
ロンドンオリンピックキャプテン・荒木絵里香選手。
3回のオリンピック、伝説のメダリストが再び全日本のコートに戻ってきた。
これまでの輝かしい実績は何度となく語り継がれてきた。
同期はあのメグカナ。
日本のバレー史上でも極めて稀な大型選手の当たり年。
荒木選手もまた、エリートだが、挫折もした。
アテネオリンピックの選考から漏れている。
ブロードをマスターしなさい。
一念発起した荒木選手は海外武者修行を挟み、一回り大きくなって帰って来た。
そして掴んだ北京オリンピック。
荒木選手はベストブロッカーに輝く。
そして体制が一新された眞鍋ジャパン。
荒木選手はキャプテンに就任。
荒木選手は眞鍋監督の打診にこう答えたそうな
「私、反発しますよ」
眞鍋監督はこの答えに、大いに反発してくれ、と答えたという。
女子は自分ひとりが突出して目立つことを嫌がる。
そんな集団を纏めるには意思表示のはっきりしている選手が適任。
だが、そんな経緯でキャプテンに就任した荒木選手も一度はキャプテンが嫌になったとか。
当時、大友愛選手と井上香織選手がレギュラーとして活躍しており、荒木選手は控えに回っていた。このことを苦にした荒木選手は眞鍋監督にキャプテンを降りたいと直訴したらしい。
しかし、眞鍋監督はキャプテンは荒木選手しかいないと説得し、それ以降折れることはなかったという。
当時の全日本は元キャプテンの竹下佳江選手がおり、荒木選手をバックアップするよう依頼されていたらしく、明るくコミュニケーション能力の高い大友愛選手がムードメーカー。
そして、木村沙織選手と江畑幸子選手がエースと、役割分担がしっかりしていた。
そうした中、バランスの取れたこのチームは世界バレーで銅メダルを獲得。ワールドカップではブラジルとアメリカを破る殊勲の星で4位。
OQTでは最後までもつれたものの、何とか突破。伝説のロンドンオリンピックへと繋がっていく。
ロンドンオリンピックは、荒木選手にとって大きな転機となった。
結婚、出産、そして、復帰へのプロセスだ。
ロンドンでは大友愛選手の前例があったが、これほど短期間での復帰例は珍しい。
新体制となった第二期眞鍋ジャパンにあって荒木選手の登録がなかったのは2014年だけ。
実際、荒木選手が復帰したのは2014年。
上尾メディックスで復活した。
ここでもいきなり14得点をあげ、健在ぶりをアピール。
翌2015年、全日本へ登録されるも、この年は見送り。そして2016年、リオデジャネイロオリンピックを目指す荒木選手の姿がそこにあった。
高いブロックと強烈なクイック、ブロードで健在ぶりをアピール。リオでも苦戦する日本の中で何本もブロックを決め、気を吐いた。
だが、準々決勝で敗れ、荒木選手の3回目のオリンピックは幕を閉じた。
号泣する木村沙織選手を慰め、ともに涙する荒木選手の姿がそこにあった。
2016/17シーズン。
トヨタ車体クインシーズの一員として奮闘した荒木選手に更なる朗報が届く。
中田監督率いる新生全日本のメンバーとして荒木選手は名を連ねた。
当初、記者会見にも参加せず、第一期合宿でも確認されず、登録のみと思われた。
しかし、背番号5はアジア選手権で帰って来た。
強烈な大砲のようなクイックも、そしてブロックも健在。
以前と少しも変わらぬ荒木選手の姿がそこにあった。
ハイライトは決勝戦。
OQTでも苦戦を強いられた因縁のタイ。
第一、第二セットを先制され、絶体絶命。
荒木選手は第二セットスタートから出場。
力強いクイックやブロック、ブロードで奮闘。第三セットから形成を入れ替えた日本が大逆転で勝利を奪い、チームはアジアナンバーワンの称号を勝ち取った。
アジア選手権で二回優勝したことのある現役選手は荒木選手だけとなった。
そしてこれより2009年以来のグラチャンへと駒を進める。
果たして荒木選手がこの後、東京オリンピックを目指すのかどうか、それは分からない。
ただ、全日本のコートにいる以上、権利はある。
既に3回のオリンピック、メダリスト。
東京の頃には娘さんは小学一年。
母の勇姿を目に焼き付けるために
荒木選手の4回目のオリンピックへの挑戦は始まった。
自分が目指す、信じる道を突き進み、荒木選手のチャレンジは続く。
お母さんはメダリスト。
二回目はなるか?
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