さあ、時代が変わる。
監督が代われば、チームも変わる。

そんな新生全日本の船出を飾る、今日は特別な日。

如何なる試合を見に行き、如何なるコールが存在しても、一番燃えるのは「ニッポン‼」のコール。


ナショナリズムが薄くなり、多様化する現代にあっても、「対海外」となる時、日本は結束する。

そんな「全日本」とファンを結ぶかけがえのないキーワード。

それが「ニッポンコール」。



全日本女子バレーボールの今日、そして明日をご愛顧頂いた皆さま、並びにこのキーワードにアクセス頂いた皆さま、誠にありがとうございます。

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全日本女子バレーボールの今日、そして明日というブログは足掛け3年を持ちまして、終了となりました。あくまで、「リオデジャネイロオリンピック」へ向かう全日本女子バレーボールチーム、そして、世界を目指す女子バレーボール選手への応援ブログであったため、初めからリオデジャネイロオリンピックを以って終了とさせて頂く予定でございました。

かつて、全日本を率いた木村沙織選手は残念ながら、もう、全日本のコートにはいません。来季からは全く違う全日本がスタートします。

そう、東京オリンピックに向けて。

新生全日本女子バレーボールチームのスタートに併せ、このブログも装いも新たにスタートします。

「全日本女子バレーボールの今日、そして明日 ~東京オリンピック編~」です。

その記念すべき第一回の記事は初めから決めていました。

それは勿論、全日本の新監督発表です。


全日本の新監督は久光製薬スプリングスを上昇集団に押し上げた元全日本の看板セッター。

中田久美監督。

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これまでとは全く違う全日本になるだろう。

とにかく、これから4年間の全日本女子バレーボールチームがどうなるか、この目で見届けよう。

中田監督は言わずとしれた久光製薬スプリングスを常勝軍団に押し上げた方です。

という訳で、改めて中田久美さんについて触れてみます。

~About Kumi Nakada~

中田久美(なかだ・くみ)

過去女子バレーボール史上最多、4回のMVPに輝いた日本女子バレーボール史上最高のセッター。

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・史上最年少の15歳で全日本女子バレーボールチーム入りを果たす。

・直後からセッター転向。

・翌年、日立に入団。

・転向僅か1年でレギュラーを獲得。

・同年全勝優勝、新人王も併せて獲得。

・1983年より全日本でもレギュラーを獲得。

・1984年ロサンゼルスオリンピックで銅メダルを獲得。

・1986年、世界バレーで主将を努める。

同年11月右膝前靭帯断裂の重傷を負うも、10ヶ月後に復帰を果たす。

・1988年、右膝を手術。同年ソウルオリンピック出場。

・1992年、バルセロナオリンピック出場。出場後現役引退。

・1995年、現役復帰。

・1996年、アシスタントコーチ就任。

・1997年、日立退社

・2005~2006年、日本バレーボール協会、協会として活動。

・2007年、イタリアセリエA・ノヴァーラのアシスタントコーチに就任。

・2011年、久光製薬スプリングスのコーチに就任。

・2012年、同チームの監督に就任。

・2016年10月現在までに、Vプレミアリーグにて4シーズン中3度の優勝、1回の準優勝と、ほぼパーフェクトな成績を収める。
また、2012年は天皇杯・皇后杯、日韓トップマッチ、黒鷲旗、ぎふ国体の5冠を達成。

まさに、ミスバレーボールの称号に相応しいそうそうたる成績を収めた人物です。

筆者はこれまで、眞鍋将義監督率いる全日本女子バレーボールチームを応援して参りました。

まだ、実感が沸かない方もいらっしゃるかもしれませんし、気持ちの整理が付いていないかたもいらっしゃるかもしれません。

ですが、全日本がより強くなるための選択ですし、全日本を応援する気持ちは変わりありません。中田監督になって全日本がどう変わっていくのか、これからも応援し、見届けようと思います。

嵐の船出、東京オリンピックへ向けていよいよ出港です。共に応援しましょう。


※全日本男子バレーボールチームの新監督人事が発表されました。

かつて全日本のエースとして活躍した中垣内裕一氏です。現在は境ブレイザーズの部長を務めています。

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中垣内氏は現役時代は強打のエースとして1992年バルセロナ五輪に出場した。監督として堺を優勝に導き、全日本のコーチも務めました。
前任の南部監督時代も含め、復活まであと一歩の全日本男子。その復権に期待が掛かります。